ソリューションとしての研修
筆者が教育効果測定研究を開始したのは1999年である。当時、日本国内に研究者がいなかったため「ROIモデル」で有名なジャック・フィリップ博士に会いに渡米を重ね、同時に東海岸から西海岸まで様々な企業に訪問し、インタビューを実施した。またある時は、カンファレンスに参加し、少しずつ米国の状況把握を進めていった。
それらの活動を通じて、多様な業種のHRDスタッフと出会い、様々な考えに触れた。日本とは異なり、社会科学の知見を用いて極めて合理的に展開される人材育成のあり方に大きなショックを受けた。中でも驚いたのは、研修に対する捉え方であった。研修は手間がかかる手段であり、なるべくなら研修以外の方法で業務課題を解決しようとする志向性(メンタリティ)である。
日本企業と米国企業のHRDスタッフの違い
日本企業のHRDスタッフは研修実施にこだわるのに対して、なぜ米国企業のHRDスタッフは研修実施にこだわらないのだろうか。そのようなメンタリティを育む要因は様々であろう。例えば、スタッフの役割や期待成果の違い、与えられている権限の違い、インセンティブの違い、職場環境や組織文化の差、職務に求められる専門性などが挙げられる。中でも大きな影響を与えているのが、業務遂行に関する知識やスキルの専門性だと筆者は推測している。
日本とアメリカにおける心理学や学習論、人的資源管理論といった人材育成やHR業務に関する知識やスキル差は圧倒的である。筆者が米国での企業インタビューやカンファレンス参加で出会った方々の多くは、心理学や学習に関するPhDや修士という学位保持者であった。翻って国内ではどうだろうか。心理学や教育学を修めた人事や人材育成担当者に出会うことは皆無である。心理学専攻者は、日本で大手と呼ばれる老舗企業に採用されることはまずないであろう。場合によっては、元の部署(工場や支社など)が閉鎖されたため、研修所に異動になったという方々に少なからず出会う。厳しい表現になるが、素人が前任者や周囲のやり方を見よう見まねで、感覚的に業務遂行しているのが日本の現実といえるだろう。人事や人材問題に対して理論や根拠に基づいた解決を試みるのではなく、自身の経験と勘にまかせ展開することになる。
打ち手を知らないことが生み出す悲劇
専門知識や専門スキルを持たなければ、問題を科学的に分析し、原因を捉え、合理性を持って解決方法を吟味し、適切な介入策を選択するという専門家の行う方法がとれない。自身がかつて経験した乏しい選択肢の中から、それらしき方法を導き出し実施するというのが関の山となってしまう。日本企業のスタッフは研修にこだわっているのではなく、研修しか知らないから、結果としてそれを実施しているに過ぎないのではないだろうか。
沢山の介入策に関する深い知識と実績(長所や短所、効用と限界、実施上の留意点、介入策に関する導入事例等々)を有した専門家が問題解決に当る際、最優先事項は方法論ではないはずだ。問題を本当に解決できるかどうかであり、効果性を優先する。ましてや効果が期待できず、手間隙を要する策を選択することなどありえない。米国スタッフは専門家として問題解決を合理的にすすめているから研修にこだわることなく、問題に対して効果性と経済性が優る他の様々な策の中から最適なものを選定しているのであろう。
「理論を知らずに実践したがる人は、舵と羅針盤のない船に乗り込む水夫のようなもので、自分がどこに投げ出されるのかまるでわかってない」(レオナルド・ダ・ヴィンチ)
特定非営利活動法人 学習分析学会 副理事長 堤宇一