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良い研修

昨今の産業人教育業界は「やりっぱなし研修は駄目」「良い研修では駄目」といった威勢のいい言葉が頻繁に飛び交っている。言わんとすることは、筆者としても分からないまでもないが、このような威勢のいい言葉を声高に叫ぶ方々に出会うとき、いつも不思議に思うことがある。それは、否定対象である「良い研修」とはどのような研修を指すのか、それのどこに問題があるのかの説明が無いことである。長きに渡り産業人教育業界に携わっているが未だかつて、そのような人物に誰一人として出会ったことがない。


先達者の研究成果を踏まえた上で新たな知見を生み出す活動が、社会科学研究である。問題意識をもったなら、最初にやるべきことは先行研究のリサーチである。その意図するところは、先行研究が生み出した英知を理解し、その上で、その英知を建設的に批判し、未だ解決されていない問題点を見つけ出すことであり、取り組もうとする研究が解決すべき課題や証明すべき事項を明確にすることである。「良い研修」を否定するなら、良い研修とは何であり、良い研修が抱える問題や課題を明示することが議論の第一歩となる。しかしながら産業界では、否定対象を明らかにせず、我々の提案の方が素晴らしいという一方的な論旨で終始するのが常である。今回のコラムでは、良い研修問題の議論の場作りとして、良い研修とは何か、良い研修と判断するために教育効果測定研究では、どのような要素をチェックするのか筆者なりの考えを紹介しようと思う。



「研修受講満足」を決定する2つの要因

研修の効果を議論する際、その元になる立脚点はKirkpatrick’s Model(1959)であろう。このモデルでは、教育効果の水準を1~4段階に分類する。それぞれの水準をレベルと呼び、レベル1~4までの定義名は「Reactions」「Learning」「Behavior」「Results」という。良い研修では駄目と主張する方々は、レベル1のReactionsの測定結果が良いだけでは不十分であるという論旨を主張されておられるのだと筆者は推測している。Reactions測定では、参加者の受講満足がある一定の評価を得た研修を良い研修と判断する。議論を進めるには、Reactions測定が対象とする研修受講満足とは一体何を指すのかを明確にする必要があるだろう。研修受講満足として何を測定しているのかに関する調査を米国でAlliger等(1998)(注1)が実施している。それによるとReactions測定では“Affective Reactions”と“Utility Judgments”の2つの要素が測定対象であると報告されている。Affective Reactionsとは、研修が受講者自身にとって充実した楽しい経験であったかどうかを意味し、もう一つのUtility Judgmentsとは、受講者が抱える業務課題や問題に対して研修内容が有効性を発揮するという見通しが立つのかという観点である。自立した大人達が忙しいさなかに利用するのが研修である。投資コストを考慮し、学習内容が業務に役立つという見通しを持ち、同時に業務と異なる充実感や経験に納得して初めて大人の学習者達は満足するのである。堤(2011)は良い研修を「研修の受講者が受講体験を楽しかった、あるいは興味深かったなどと評価している。その上で、学習内容が自己の業務の改善や問題の解決などへ役立つ可能性が高いと受講者が強く認識している状態にさせる研修」(注2)と定義している。良い研修は、相当に高いハードルが課せられている。学んだ内容を活用しようという気持ちにさせるには、良い研修であったと受講者自身に認識させることが前提で、その点をクリアしない限り期待成果を獲得できない。


良い研修が行動変容につながる道であるなら、論点は良い研修を否定することではなく、行動変容を促す環境や働きかけを研修提供時に、あるいは職場でどう構築するか。別のアプローチとして、行動変容の有無を正確に捉えるツール開発が議論すべき事項となるだろう。


特定非営利活動法人 学習分析学会 副理事長 堤宇一



(注1)George m.Alliger, Scotti. Tannenbaum, Winston Bennett Jr, Holly Traver, Allison Shotland, (1998) A Meta-Analysis of the relations among training criteria. Personnel Psychology 50, pp341-358.

(注2)堤宇一(2011)
LT手法による職業人教育訓練における教育効果測定レベル1評価のための測定ツール開発研究、 熊本大学大学院 社会文化科学研究科 教授システム学専攻 修士論文

堤 宇一氏
堤 宇一氏
所属:NPO法人学習分析学会副理事長 熊本大学大学院社会文化科学研究科教授システム学専攻修了。 「教育効果測定」を2000年より専門テーマとして研究を開始。教育効果測定での米国の第一人者であるJack Phillips博士が主催するROI Network(後にASTDとの事業提携によりASTD ROI Networkに名称改名)にて、アドバイザリーコミッティボードを2期(2001~2004年)務める。(株)豊田自動織機で行なった「SQC問題解決コースの教育効果測定プロジェクト(2002)」は、アジア初の事例としてIn Action ,Implementing Training Scorecards (ASTD)に掲載される。 2005年にNPO法人人材育成マネジメント研究会を設立、2015年5月に学習分析学会へ改組し、現職。 現在、産業人教育の品質向上を目指し「教育効果測定」「インストラクショナルデザイン」「人材育成」に関するコンサルタントとしてコンサルテーション、講演、執筆等幅広く活動。
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