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自己信頼とは何か~個人と組織の関係性が変わる中で必要となるもの


目次[非表示]

  1. 1.個人と組織の関係が変わっていく
  2. 2.肩書きの意味が薄れる時代に、何を信頼すればよいか?
  3. 3.私はもともと、自己信頼が弱い人間だった
  4. 4.社員からの問いかけ
  5. 5.自分をありのままに捉えることから始めよう
  6. 6.自己一致から自己信頼へ


みなさんは、「あなたについて説明してください」と言われたら、どのように答えますか?

まず、年齢や出身地や家族構成など、自分の属性について答える人が多いかもしれません。また、働いている会社や肩書きといった、所属するコミュニティについて答える人もいるでしょう。これまでやってきたことを紹介する人もいれば、性格について伝える人もいるかもしれません。

これらはどれも、間違いではありません。

一方で、様々な特徴を言葉で表したところで、自分を説明したことになるでしょうか? それらは、自分に関する要素ではあるものの、自分の全体や、自分の根幹を表現しているような感じはしないのではないでしょうか。様々な特徴を分解して説明しても自分自身にならないとしたら、どうすれば「ほんとうの自分」を捉えられるのでしょうか。


個人と組織の関係が変わっていく

「ほんとうの自分」をテーマとして取り上げた背景には、個人と組織の関係が大きく変わりつつあるという時代の流れがあります。

昭和の時代から平成の時代までは、「個人は組織に帰属する」という考えが主流でした。ベン図で表せば、個人は、組織の枠にすっぽり入ってしまうような関係です。

しかし、これからの時代は、組織があってその概念の中に個人が完全に内包されるのではなく、個人が複数の組織やプロジェクト、ジョブを組み合わせていく働き方が一般的になっていくのではないでしょうか。ベン図で表せば、個人の輪と組織の輪が対等に横に並んで、重なる部分もあれば、重ならない部分もあるという関係です。

個人と組織


肩書きの意味が薄れる時代に、何を信頼すればよいか?

このような環境では、肩書きそのものにはどんどん意味がなくなっていきます。「XX社の部長」であることは、会社を出てしまえばあまり意味がありません。「XX社の部長の経験を活かして何ができるか」が重要になっていきます。

さらに、複数の組織・業界に属するようになると、ある領域での評価が他の領域では通用しないことに気づきます。受験勉強でいい成績を収めても、社会に出れば成績そのものにはあまり意味がないのと同じことです。ある会社・業界でいい評価をもらっていたとしても、外の世界に出れば、その価値が全く認められないこともあるでしょう。

肩書きや評価は、特定のコミュニティの中での「他人からの評価」です。「他人からの評価」を拠り所にしていると、ある状況ではうまくいっていても、他の状況ではうまくいかないということが起きます。あるいは、他人からの評価が得られている状況では自分らしく振る舞えるけれども、それ以外の状況では自分らしく振舞うことができないということも起きます。

他人からの評価に価値はないという話ではありません。他人からの評価があった方が、スムーズに協働ができるという場面もあるでしょう。ただし、他人からの評価のみに依存してしまうと、うまくいかないことも多くなるということです。

このような時代に拠り所になるのが「ほんとうの自分」です。これからは、他人からの評価ではなく、自分で自分を信頼できる人が強いのです。自分で自分を信頼することを自己信頼と呼びます。

自己信頼


私はもともと、自己信頼が弱い人間だった

私が、なぜ、自己信頼というテーマを大事にしているかと言えば、私自身、自己信頼が弱い人間だったという認識があるからです。いまでも、自己信頼が十分かと言われれば、そうではない面もあるというのが赤裸々な事実ですが、自己信頼について自分でメタ認知するようになってから、少しずつ自己信頼の厚みが増していることも実感しています。

自己信頼が弱いと気づいたきっかけは友人の一言でした。大学時代からテニスを一緒にしていた仲間で、弁護士事務所に勤める友人Kさんと、今でも年に1回から2回くらい一緒に食事をします。食事をするときに話をする内容はビジネスの話から、子供の教育の話まで多岐に渡りますが、人生経験豊かなKさんの話はいつも新しい観点や示唆を提供してくれます。

美味しいイタリアンレストランで夕食を一緒にしていたときの話題が、「自己信頼と自己信用」でした。この2つの言葉の意味や違いについては、今後の記事で解説したいと思いますが、Kさんからの一言で「文四郎って、自己信用あるけど、自己信頼薄めだよねー」という言葉ではっと気づきます。

(ちなみに、Kさんとは何でも言い合う仲ですので、お互いにそのようなことを言っても、嫌な思いをするとか、関係が崩れるというような話は一切ありませんし、私は今でもその友人の一言があったことに感謝しています。)


それまでの自分の感覚としては、(このように書くと傲慢な感じに聴こえてしまうかもしれませんが、、、)「自分はやればできる」という意味での自信や、自己有能感は持っており、それと自己信頼が厚いということを混同していました。Kさんは、それを見抜いており、上記の一言でそれを私に気づかせてくれたのです。

子ども

私の自分に対する感覚は、過去の経験に裏打ちされた自己信用であり、無条件に自分を信頼する自己信頼ではありませんでした。自己信用があるけれども、自己信頼がない状態であることについては、自分でも思い当たる節がありました。

「自分はやればできる」と思えるような場面であれば特に問題が起こることはありませんが、「自分はやればできる」と思うことができない場面に遭遇すると、自分が立ち戻る場所を失った感覚をもち、それがマイナスの言動となって現れるというパターンを繰り返していたのです。

以前の記事に書いた、自ら作り出した社長の孤独というのも、その1つの現れだったと思います。また、事業面の問題ではなく、組織面や人間関係の問題に対峙したときに、それまでの人生経験やコンサルティング時代の経験や、論理的・分析的アプローチが通用せずに、自分が立ち戻る場所を失う場面も多くありました。

その頃から、自分の中で問いが立つようになりました。「自己信頼とは何か?それは先天的なものだろうか?後天的なものだろうか?後天的なものであるとすれば、どのように自己信頼を高めていくことができるのだろうか?」

この記事から始まる章では、これからの世の中の流れで大切になってきており、かつ、私自身の問いでもあった「自己信頼」をテーマとしていきたいと思います。


社員からの問いかけ

まずは、自己信頼の定義をしておきましょう。



自己信頼の定義(落合の考え)

「無条件に自分を信じること」



とてもシンプルな定義ですね。私自身、この定義をとても気に入っています。シンプルでありながらも、本質を突いているという確信みたいなものを持っているからです。

無条件というのは、平たく言えば「どんな場面、どんな時でも」ということです。「ある特定の場面、特定の条件が満たされた時」ではないということです。「無条件」の反対は、「条件付き」です。すなわち、無条件というのは、いかなる条件もついていないということになります。

私自身、この意味を深く知った出来事があります。お客様との打ち合わせの後、一緒に案件を手がけていた社員のNさんと食事をしていたときに、Nさんが聞いてきました。


「社長は、自分を信頼していますか?」


お客様との打ち合わせの中で、職場における人間関係や、相互信頼ということをテーマに議論をしていたので、信頼というテーマがでてくることは自然な流れでしたが、自分自身に問いが向けられたことに少し驚きながら答えます。


「そうだね。信頼しているよ。やろうと思えばできるという自信を漠然ともっているよ」


そのときに、Nさんがこのように言ってきたのです。


「もし、落合文四郎が、アルーの社長でなくて、BCGの出身でもなくて、大学院卒という学歴もないとしても、同じことが言えますか?」


ドキっとする質問であったと共に、多くの気づきを貰えた問いかけでした。その答えは「No」であることに気付かされた問いでした。自分が自分を信頼していると思っていたのは、自分が大学院まで勉強をしてきたこと、BCGで一人前のコンサルタントとしてやっていくことができたこと、起業をして一定レベルまで会社を成長させてきたことに依拠していたことは明らかでした。


私が、その当時私自身を信じていたのは、そのような条件が揃っていたからであり、無条件ではなかったのです。それは、自己信頼ではありませんでした。(詳しくは、今後の記事でお話ししますが、条件付きで信じることを自己信用と呼びます

自分をありのままに捉えることから始めよう

友人のKさんとの会話、社員のNさんとの会話を通じて、自分の自己信頼は弱いことに気づき、「自己信頼とは何か?自己信頼を持てるようになるにはどうすればいいのか?」ということが自分の長年の問いとなっていました。

意識の意識化というテーマで1,000時間以上の探求を行ってきたことは以前の記事でご紹介しました。

私自身に問いが立っていたこともあり、自己信頼とは何か、自己信頼を生み出すメカニズムとは何か、についてもそのプロジェクトにおける探求対象となりました。

自己信頼が弱いことに気付かされ、それが場面によってネガティブなインパクトを与えることにも薄々気づきながら、どうすればいいのかわからない日々が続いていた状況でした。

そのような状況の中、意識の意識化を探求している中で着想を得たのです。それは自分にとって、貴重な発見でした。暗闇の中から新しく日が差してくる瞬間を見たような、それでいて、その光はまだ弱々しく、本当に日が昇ってくるのかがわからないような感覚でした。

その日から、その一筋の光を頼りに、自分の中で実践し始めます。


 その一筋の光とは、「自分をありのままに捉える」ということでした。

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自分が考えていることは、自分の全てではありません。考えていることと、感じていることが異なることがあります。例えば、本当はやりたくないという否定的な気持ちがあるにも関わらず、周囲からの期待や慣習やルールからすると、自分はやるべきだと思うという場面が当てはまります。

あるいは、自分の心の底から願っていることと、現実を目の前にして問題に対処しようとしている自分の思考が違っていることもあります。


私の例でいえば、事業撤退の決断時期が遅れてしまうということがありました。

ある事業の立ち上がりが悪く、携わっているメンバーのエネルギーが十分にでているとは限らない状況を心の底では感知しながらも、これまでの経緯や自分の発言との一貫性や、株主などへの約束、撤退するときにメンバーがどのように思うかなど、様々な不安や恐れから、事業存続が正当であることについて思考でいろいろなロジック付けをしてしまい、事業撤退の決断が遅れてしまったことがあります。

当時の私は、「自分の頭で考えていることが自分のほぼ全てでした」。心の底の願いや、無意識に感じていることは、十分に捉えることができていませんでした。

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自分をありのままに捉えるというのは、自分が頭で考えていることだけではなく、感情や五感や直感などの自分が心や身体感覚で感じ取っていることを否定したり、無視したりせずに捉えることです。

先ほどの事業撤退の例でいえば、私の中に次のようなことが浮かび上がっては、消えていくような状況でした。



頭の中で考えていること(思考)

  • この事業は、自分が思い入れをもって始めたものであり、初志貫徹したい
  • 株主にも、この事業で成長を加速させていくストーリーを語っており、その約束を果たしたい
  • 事業部のメンバーには、この事業の有望性を語ってきており、話してきたことの一貫性を保ちたい
  • 事業の現状は、必ずしも当初の想定通りになっていないが、ピポットする仮説はあり、それがうまくいくことを示す事象もでてきている(理屈は一定程度成り立つ)


心の中で感じていること(感情・身体感覚)

  • 株主や事業部のメンバーに対して、これまで話したことと翻意するのは、自分の一貫性が疑われる気がして嫌だ。怖い。
  • 自分が思い入れをもって始めた事業が撤退するとなると、何となく自己否定されている感覚がある
  • 事業の進捗状況を確認したり、報告したりする場面では、心がざわつくことが多い


直感していること(直感)

  • 心の底からやりたいことは、多くの人に選択肢を提供すること(この事業は1つの形態ではあるが、それだけが唯一の形態でもない)
  • 事業部のメンバーが、一人ひとりの主体的真理につながりながら、イキイキと働ける環境を創りたい(この事業は、その1つの形態であったが、現状はその理想とギャップがでてきている)



この中には、お互いに相容れない、矛盾している要素があります。そして、 相容れないこと、矛盾していることを自分の中に抱えておくことはとても辛いので、無意識的にどれかを選択して、どれかは無視する、なかったことにするということをやってしまいがちです。

私の場合は、頭で考えていることが優先され、心の中で感じていることや、直感的に捉えていることを陰に追いやってしまうことが多くあります。このケースの場合もそれが当てはまっています。

自分をありのままに捉えるということは、このような相容れない、矛盾している要素も含めて、その全てを否定せずに捉えるということです。「そう考えているんだ」「そう感じているんだ」ということを全て許容して、矛盾していることも許容するし、受容するという感じになります。

全てを否定せずに捉えるという感覚に慣れてくると、その次に「これらの全てを捉えているのは誰だろう?」ということに意識が向くようになります。それがメタ的な自己です。すなわち、相矛盾する要素全てを捉えている自分が、いまここに確かにあることに気づきます。

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自己一致から自己信頼へ

このメタ的な自己から、ありのままの自分、すなわち、自分の中にある相矛盾する要素全てを捉えることを自己一致と私は呼んでいます。ありのままの自分と、意識下にある自分が一致しているという意味合いになります


そして、 自己一致を積み重ねていくことが自己信頼につながります。


自己一致というのは、瞬間瞬間の感覚であり、「いまこの瞬間において、自分の中にある全ての要素をありのままに捉えている」という感覚ですから、自己信頼という「無条件に信じること」とは違うものの、お互いに密接に関連しています。

瞬間瞬間の自己一致という感覚を積み重ねていくことによって、「いつでも自己一致することができる=いつでもありのままの自分を捉えることができる」ことが、自己信頼につながるのです。



いつでも自己一致することができる

いつでもありのままの自分を捉えることができる

自己信頼(無条件に自分を信じること)



自己信頼 = Σ自己一致

(Σは、「総和」という意味です)


私自身、このことに気づいてから、自己一致をするように心がけてきました。特に、自分の中に相矛盾した感覚を感じたときや、感情的な起伏がおきているときに、自己一致することによって、自分の中で何が起きているのかを捉えるようにしてきました。

最近では、いつでも自己一致できるような感覚を持つことができ、その感覚の積み重ねとして、自己信頼は以前に比べて、違う質のものになってきている実感を持っています。自分の中での自己信頼に関する問いに、心の底から納得できる答えを見つけた感じでした。

落合文四郎
落合文四郎
アルー株式会社代表取締役社長

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