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個人と組織の相互共生~インテグラル理論から考える企業のパーパスと個人の主体的真理のつながり


目次[非表示]

  1. 1.目に見えるものばかり意識していませんか?
  2. 2.インテグラル理論が示すパーパスと主体的真理の重要性
  3. 3.日々の仕事の中での主体的真理とつながり
  4. 4.個人と組織の関係が変わっていく


今回の記事では、3+1意識モデル(ミクロ的・微分的視点)や、矛盾を両立する経営の全体像(マクロ的・積分的視点)のような観点から私たちの社会の現実をみたときに、どのような課題意識を持っているのか、お話ししたいと思います。


目に見えるものばかり意識していませんか?

まず第一に課題意識として感じるのが、「見えるものへの偏重」です。具体的には、売上、利益、株価などの財務的な結果であったり、ビジネスモデル、商品、サービス、戦略、人事制度などが「結果として形となって現れるもの」になります。

もちろん、これらのどの要素もビジネスを成立させる上で、とても大切です。1つ1つの要素が大切であることは確かだと思いますが、一方で、これらの要素は、全体からみたときに「目に見えやすい一つの側面」に過ぎないのではないでしょうか?

売上、利益、株価、ビジネスモデル、商品、サービス、人事制度などの形あるものが生み出される過程や経緯を考えれば、それを生み出す組織や人の行動があり、この行動の背景には一人一人の理想とか、意欲とか、努力など、人の内面から生まれてきたと思うんですね。

例えば、創業者の思いが、組織の文化をつくり、経営理念という言葉になって表現されて、その経営理念を体現するビジネスや組織構造や人事制度が創られる、というストーリーをどの会社も持っているのではないでしょうか。

創業者だけではなく、ある社員1人の思いから始まって多くの人の共感を得て、新しいサービスとなって生み出されるということも、歴史ある企業であれば、いくつものストーリーを持っていると思います。

しかし、時が経ち、市場環境や競争環境が変わり、組織のあり方や組織の構成員も変わっていく中で、いつしか「当初の思い」と「形となって残っているもの」のつながりが薄くなり、形骸化してしまう。そして、形骸化したものが既成事実として残ってしまい、誰もその解消や改善を言い出すことができない。

現在の日本において、よく見られる光景ではないでしょうか?

例えば、教育の話で言えば、今の学校教育の体系は明治時代になってから、欧米の文明をいち早く吸収して文明開化をするという文脈があり、読み・書き・そろばんがしっかりできる教育を全国一律で実施するという考え方をもとに形になってきた経緯があります。

その当時の思想が、今現在においても引き継がれている部分があり、初等教育においては日本の学力が高いと言われる所以になっています。一方で、時代の流れの変化を考えたときに、本当にこの教育の形が良いのかといえば、多くの人が違和感を持っているのではないでしょうか?

例えば、全てのカリキュラムを画一的に実施する教育、先生が説明をして生徒が聞いて理解をするという授業スタイル、答えが一つに定まっている問いに対して、素早く正確に答える能力を育むという考え方。

これらの教育スタイルを全てを否定するものではありませんし、私個人は、このような「型を習得する」学習も大切だと思っていますし、それを「全国一律」でやっていく意義もあると思っています。

しかしながら、このような教育スタイルが、明治時代のときは理念との繋がりがあってよかったものを、今この令和の時代になってもそのままでいいのかを言えば、違和感を持たざるを得ないのではないでしょうか。


インテグラル理論が示すパーパスと主体的真理の重要性

ここまで、ビジネスモデルや組織構造や人事制度などの「目に見えるもの」と、個人の思いや願いや理念という「目に見えないもの」の両者のつながりが大切であることを述べてきました。

こちらの図をご覧ください。これはケン・ウィルバーのインテグラル理論を元にした図です。

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インテグラル理論においては、物事の捉え方には4つの側面があるとされます。この4つの側面のうち、ビジネスにおいて、みなさんが普段注目をしているのはどれでしょうか?あるいは、普段、メディアなどで伝えられることが多いのはどれでしょうか?

「組織×外面」が多いのではないでしょうか?それは、「見えやすく、わかりやすい結果」だからです。組織内において、売上・利益などの財務面の結果、戦略や人事制度などは、言語化しやすく、共有しやすい。個人にとっても、自分の努力の結果を評価や昇進や給与などを通して知ることになりますが、それらは「組織×外面」によって規定されています。

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しかし、「組織×外面」にあまりに重視しすぎると、組織の内面や個人の内面とのつながりが切れてしまいます。このつながりが切れてしまうと、内面からのエネルギーの供給がされないので、形骸化して活力を失い、結果的にビジネスとしても儲からなくなります

逆に、一人一人の思いや理想が集合化して、組織的の文化となり、それがヴィジョンや人事制度やビジネスモデルを生み出していれば、内面からのエネルギーが常に供給され続けますので、結果的にビジネスとしてもうまくいきます。

私が大切にしたい「主体的真理の社会実装」というのは、「個人×内面」の主体的真理から始まって、「組織×外面」の社会実装に至る、この2つの間のつながりが保たれている状態です。そして、その出発点は「組織×外面」ではなく、「個人×内面」であるということです。

「組織×外面」がダメという話ではない。「個人×内面」とのつながりがきれてしまうこと、さらに言えば、つながりがきれたときに形骸化したまま、そのつながりを取り戻すことができない状態が続いてしまうことに、私の課題意識があります。


日々の仕事の中での主体的真理とつながり

上記の「組織×外面への偏重」という課題認識は、会社全体、組織全体、ビジネス全体という視点から捉えたものですが、この章からは、個人レベルで考えた時の課題認識となります。

それは、「日々の仕事の中で、主体的真理とのつながりを感じながら、働くことができているだろうか?」ということです。


  • 「目の前の業務で忙しく、自分がやりたいことなどを考える暇はないし、実行する余裕もない」
  • 「自分の主体的真理につながったことをやっても、全く評価などされない」
  • 「そもそも主体的真理やありたい姿がわからない」


このような感想を持つ方が多いのではないでしょうか。ここには大きく分けて2つの要因があります。

一つは「1人1人がもつ主体的真理やありたい姿と、仕事やキャリアが必ずしも結びついていない、あるいは、結びつけるという感覚をそもそももてない」ということです。もう1つは「主体的真理、ありたい姿、目指したいキャリアがわからない」というものです。


1つ目の「主体的真理と仕事やキャリアの結びつきの弱さ」については、「仕事とは上位者が求める成果をだすこと」、「自分がこうしたい、こうありたい、ということを挟む余地はない」という価値観があることが要因になっています。

もちろん、上位者が求める成果を出すことは仕事においてとても大切なことです。しかし、そこには「自分はこうしたい、こうありたい」ということと両立する余地も少なからずあるはずです。


例えば、お客様への提案のための企画書を書くことを、上司から指示されたとします。企画書を書く際の、会社としての決まりごとがあるでしょうし、上司から指示を受けた内容は盛り込まなければいけないでしょう。しかし、そこには、「お客様にとって、こういう企画にするのがいい」という自分の考えや、「自分の目指したい営業の姿」からくる考えや意見を盛り込む余地もゼロではないでしょう。


あるいは、個人のありたい姿として、新しい商品やサービスの開発をしたいと思っている人が、今は営業職についているとします。そのときに、「営業職なのだから、営業の仕事しかすることはできない、あるいは、してはいけない」という考え方になるか、「営業職であっても、お客様の新しいニーズに常にアンテナを立てておくことによって、自分なりに新しい商品やサービスのイメージを常に持ちながら仕事をしている」という考え方になるかで、日々の仕事に対するモチベーションは大きく異なるでしょう。


これらの例においては、個人の考え方というところにフォーカスをしましたが、実はより根源的には、「個人の考え方の問題」という話だけではなく、上司や周囲からのサポートがどれだけあるか、組織として1人1人のありたい姿や主体的真理に寄り添う文化があるか、という問題です。



個人と組織の関係が変わっていく

詳しくは別の機会に話したいと思いますが、この背景には、個人と組織の関係に対する価値観があります。昭和の時代から平成の時代まで、「個人は組織に帰属する」という考えが主流でした。ベン図で表せば、個人は、組織の枠にすっぽり入ってしまうような関係です。

しかし、個人と組織の関係は大きく変わってきています。「個人と組織の対等な関係、相互の主体的真理やありたい姿に基づいて、協働することに合意する関係」への変化です。ベン図で表せば、個人の輪と組織の輪が対等に横に並んで、重なる部分もあれば、重ならない部分もあるという関係です。

個人と組織の関係が変わっていく


このような「個人と組織の対等な関係」を前提としたときに、「仕事は上位者が求める成果をだすもの」ではなく 「仕事は上位者と共に、価値を協働創造するもの」という考え方になっていくのではないでしょうか。


2つ目の「目指したいありたい姿、主体的真理がわからない」という点については、さらに深い要因が隠されています。

これまで「仕事は、やるべきことをやること」と思っていたのに、いきなり「何がしたい?」と聞かれても「わからない」となってしまうのは致し方がないことです。

「自分がやりたいことを見つける」というのは、一朝一夕にできることではありません。決して難しいことではありませんが、誰でも即答できるような簡単なことでもないのです。

日本の公教育においても、家庭での教育においても、「アイデンティティは何か?」「自分は何をしたいのか?」「自分は何のために勉強をしているのか?」について考える機会を与えることは殆どないということも関係していると思います。

「考える機会が少なかった」ということが、「自分のありたい姿や主体的真理がわからない」要因です。「考える機会」が増えていけば、誰でも自分のありたい姿や主体的真理に対して、少しずつ気づくことができます。


これを「個人の問題」と簡単に片付けようとするのではなく、組織としてどのように丁寧にサポートしていくか、もっと大きく言えば、社会としてどのような環境を創っていくかは、大きな課題だろうと思います。


さらに言えば、個人の主体的真理と組織の目的(パーパス)のつながりをどのようにデザインするか、そして、そこに組織(社会)としてどのように積極的に関わろうとするかは、これからの組織(社会)の栄枯盛衰を決める重要な要因になるように思います。

落合文四郎
落合文四郎
アルー株式会社代表取締役社長

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